Tagged: Anti-J-Pop

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シンガー・ソングライター:Matt the Electrician

昨日の晩南金沢のBig PinkでMatt the Electrician(ホムページ、ウィキペディア)のコンサートを聴きに行った。小さいBig Pinkは空気がなくなる程満席と「満立」だった。やはりいいライブ・パフォーマンスを聴きたい人が多い。特にこの様なライブ・コンサートが少ない金沢に。 シンガーソングライターが大好きで、はじめてにMatt the Electricianを聴く僕はめちゃ楽しんでいた。ギターとバンジョーだけ弾いてる彼は特にちょっと寂しい曲を演奏したけど、その中冗談ばっかりの曲もあった。 時間はすごくはやくたっていて、いつの間にか最後の曲になった。よいコンサートだった。金沢に来てくれてありがとうございます。そして、僕らを誘ったCさんにも感謝してる。

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ビニチョー カポッセラ:スタンコ・エ・ペルデュト

昨日短時間帰国してる心に近い友人は自宅に来てくれた。今年カナダで新しい生活を初めた彼と昔いつもいっつも興味深い話した。今回も深夜までいろんな話になった。宗教など孤独感など正反合など。その様な人は僕に対して珍しい。その様な話出来る相手はなかなかいないから、感謝してる。一緒に朝食を食べてから、彼は行ってしまった。次の出会いはいつだと誰もしらない。切ない。大学行く時、今日紹介する歌をずっと僕の頭の中に回っていた:ビニチョー カポッセラのスタンコ・エ・ペルデュト。イタリアの住んでいた時、いろんなイタリアの音楽を聞いて、だんだん好きになった。はもちろん、他の好きな歌手もいっぱいいる。その中にビニチョー カポッセラ(Vinicio Capossela: 英語のウィキペディア、公式サイト)も入ってる。 この歌をよくイタリアの友人と一緒に歌っていた。切ない話、複雑な話なんだけど、心を触れる話だと思う。Rさん、昨日来てくれて、ありがとう!

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ミア・マルティニ ー ミニュエット

昨日フェースブックで友人がアップした歌だ。昔から大好きな歌だけど、久しぶりに聞いた。聞くことだけじゃなくて、全ての歌手まだ覚えていて、一緒に歌った。(他の人いなくてよかった、僕の声がひどいぞ。)好きな歌なので、日本語に翻訳してみよう!彼女は日本語がめちゃうまいから、実は翻訳して欲しかったけど。。。 イタリアの歌手「ミア・マルティニ」(Mia Martini)は1947年にイタリアの南の「カラブリア州」に生まれて、3回イタリアのユーロビジョン・ソング・コンテストの代表者だった。

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友川かずき:未発表ライブ

やっと手に入った:友川かずきの未発表ライブ、10枚組BOX。今年の1月初めてを見聞いた。彼のライブ・ペルフォーマンスは素晴らしかったから、他のライブを聞きたかった。いつも東京か大阪の方なので、出席は大変難しい。そのかわりに、10枚組ライブのみ発表を買った。 曲もちろん、CDと箱のデザインも特別だ。一枚づつ友川が書いた絵に飾られていた。レコードも紙ケースも絵を見せている。添え物にとして、A3のサイズの絵も加えられている。とっても豊かな箱だ。 入っているCDは DISC 1 京都市立芸大 1985年11月24日 DISC 2 早稲田大学 1989年 DISC 3 マンダラII 1989年4月6日 DISC 4 友川&トシ マンダラII 1991年7月15日 DISC 5 銀座ケルビーム 1992年12月1日 DISC 6 酒遊舘 1993年10月2日 DISC 7 新宿Galeria Q DISC 8...

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ファブリツィオ・デ・アンドレ ー 盲愛のバラード

先週のイタリアの一番有名な歌手を紹介した。彼の歌はたまに苦しい、たまに陽気だ、たまに両方だ。今日紹介と翻訳する歌はそれの一つだ。陽気な声で面白い印象を伝えているけど、内容は冷たくて誰も好きじゃない男誑し「ファム・ファタール」をぞっこん愛に落ちる人の話:「盲愛のバラード」。歌の女の人はボードレールの「ムーサ」を覚えさせる。彼女は彼の財産をふいにしても、彼をアヘン中毒にさせても、ボードレールは最後まで彼女を支えた。盲愛のバラードの陽気な歌と苦しい内容の対照は面白い感じを作っている。 最初友川カズキを聞いた時、ファブリツィオ·デ·アンドレを思い出した。彼らは似ていると思う。違いは友川は日本であまり人気じゃなくて、デ·アンドレはイタリアで大人気だ!

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ファブリツィオ·デ·アンドレ(Fabrizio de Andrè)

最近友川かずきの歌を英語でここに紹介した。これは僕の「J-Pop反対」の活動だ。今回日本人の為イタリアの一番有名で影響が強い歌手を紹介すると思う:「Fabrizio de André」(ファブリツィオ·デ·アンドレ)。 イタリアのジェノヴァ(Genova)に1940年に生まれて、18歳から1999年の死去までずっと音楽をしたり、アルバムを作成したり、特に社会の「アンダードッグ」負け犬を支えたり、カトリック教会を冷評したり、今までイタリアの全ての音楽を影響した。 1980年サルディーニャ島の反徒に拉致されて、何月もサルディーニャの山岳に押さえられた。身代金を払ったようでやっと彼が放れた。その後デ・アンドレは反徒を支えて、特別のアルバムを録音した。 デ・アンドレは色んな歌手の影響されていた。特にジョルジュ・ブラッサンスとレナード・コーエン。互いに、もう15年前なくなっても、彼もこれまでのイタリア音楽に強い影響を与えている。どんなに強い盈虚だったのに、イタリアの外国にデ・アンドレはあまり有名じゃない。実はイタリア人以外「デ・アンドレ」を聞いた事がある人をあった事がないと思う。 残念ながら、僕自身はデ・アンドレをライブに見た事ないけど、彼の演奏が有名だった。よく舞台の上に一つの椅子とワイン一本だけあった。演奏中ワインを沢山飲みながら、歌を歌たり、タバコを吸ったり、自分の哲学の話したり、したようだ。先月の友川かずきの演奏に出席の時、デ・アンドレを思い出した。(タバコとお酒以外けれども) これから色んなデ・アンドレの歌を日本語に翻訳してみようと思っている。

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友川かずき・復讐バーボン

今晩大阪のJanusで友川かずきの「復讐バーボン」のリリース・パーティーに参加した。最近友川の音楽をよく聞いて、だんだんすごき好きになった。今日初めてライブに観る事ができた。友川かずきはもう40年位歌っているのに、自分の友達の間に誰も彼を知らなかったから、一人で大阪へ演奏を聞きに行った。新しいCDをまだ聞いていないけど、ライブの曲は友川ぽかったと思う。 1950年に生まれた友川かずき氏はまだすごく強く歌って、曲の間色な話した。話題は大阪のうどんと原発だった。曲にも、ステージの話にも、強い意見を述べる事が嫌いじゃないみたいから、あまり日本人ぽくないと思う。 今日色な歌を歌って、新しいCDの歌も、有名な歌も、面白いミクスだった。僕が大好きな曲も聞いた:と。一人は引いていない、今晩永畑雅人(Piano, Accordion, Mandolin)、石塚俊明(Drums)、ギャスパー・クラウス(cello)と共に素晴らしい演奏を聞かせた。 演奏後CDを買った観客はそれぞれ友川氏が書いてとサインされた絵をもらった!嬉しい!僕のはこれだ。 観客も結構面白かった。ちょっとワイルドの感じの人が多い。ビックリしたのは、若者もいっぱい来たよ。いつも「友川の音楽はお爺さんのだ!」と言われたけど、演奏でその感じ全くなかった。他の驚いた事は、僕以外の外国人が2人だった。 残念な事が一つだけある:友川氏の歌詞本を持って、サインをいただけると思ったのに、演奏の後その機会がなかった。残念だ。 やっぱり大阪へ行ったよかった!もしかしたら来週の東京の演奏へも行くかもしれない。