柿くへば。。。ー 二つの解釈

日本語の先生は正岡子規の下記の有名な俳句を読ませてくれた:

kakikueba

柿くへば
鐘が鳴るなり
法隆寺

日本語のクラスの後、自転車での通勤しながら、解釈を考えた。そして、妻の意見と感覚を尋ねた。全然違う解釈その結果をここに述べる。

まず、句の言葉の説明:明治時代の正岡子規の言葉なので、ちょっと変わった形がある:「くへば」は「食えば」で、「鳴るなり」は「鳴る音あり」(ナルネアリ->ナルナリ)だと聞いていた。そして、「法隆寺」は奈良の有名なお寺。

自分の解釈

(注意:つまらないから、ずっと「。。。と思う」等を書かない。今後は全部僕の考えだ。)

全体的に僕が受けた印象は「季節の変わり」の感じだった。暖かくて、幸せな夏から、寒くて、ちょっと寂しい冬に移動季節。

「柿」について:柿は秋の実もちろん、柿の色は紅葉を覚えさせることだ。そして、柿が2つの種類がある:夏の甘さと幸せを覚えさせる甘い柿、と冬の辛さを覚えさせる渋い柿。柿の実を選ぶと、両方の感じを引き入れることができた。他の日本人と話すと、もう一つの点を気がついた:柿を食べる時間は朝じゃなくて、午後・夕方だ。一日が大体終わって、冬みたいな暗さの夜になっている。

「柿くへば」について:日本人はそれを考えないかもしれないけど、外国人の僕はそれを読むと、「カキク」を聞いて、「カキクケコ」に続きたい。簡単な言葉の遊び。

「鐘が鳴るなり」について:鐘の音は特別:鐘を打ったから、長い時間続いて、だんだん弱くなって、だんだんなくなる音だ。最初の夏の賑やかな音から最後の冬の静かな音の思い出。ちょっと寂しい感じでゆっくり静まっていく。「鳴るなり」の選ぶのは、鐘を打つこと(鐘をなる)じゃなくて、その後の音(音あり)の感じを指示したい。

「法隆寺」について:自分で行ったことがないけど、日本文化の中、お寺というよく「終了」の感じと繋がって、神社というよく「開始」の感じと繋がる。そのとおり、お寺を選ぶことは、また冬に指示する。なぜちょうどこのお寺を選んだのは、わからないけど、もし世界最古の木造建築物があって、冬はどんなに辛くても、また夏になって、長生のこころの望みに指示するかもしれない。

従って、僕に対して、この句は日本人が鑑賞する変換、特に季節変換、の感覚を綺麗なイメージに包んで、人間と世界の無常を覚えさせる。

妻の解釈

妻に聞いて、全く違う絵を作ってくれた:妻に対して、この句は明るいイメージを覚えさせる:学校から戻る少年は、夕方の柔らかい陽の光に法隆寺の前の柿の木を通って、こっそり木を登って、甘い柿を食べながら、学校が終わったこの今の時間を楽しんでいる。その時鐘がなって、お母さんが待っているから、早く家に帰らないといけない感じ。

とっても綺麗な絵だと思う。日本語の先生に両方の解釈を伝えたから、先生はやっはり妻の解釈がよくわかっていると言われた。他の日本人と話すと、よく似っている解釈が出てくる。僕の感じの中、鐘の音はすごく早朝につながっている。なざならたまに朝の坐禅に行く僕に対して一番よく聞く鐘の音は、朝の座禅の時の鐘だ。日本人では、夕方の鐘の音。

この短い句の中に、いろんな他の解釈があるはずだけど、この二つを比べると、尊敬します。素晴らしい句!

他の解釈があれば、是非ここに聞かせてください!

1 Response

  1. ぼくの解釈:
    ただ単に、柿を食べていたときに法隆寺の鐘がなっただけのことだと思います。作者には深い意味などなかったかもしれません。柿を食べながらゆったりとした夕暮れを過ごしている絵が思い浮かびます。一方、鐘の音は悠久(長く久しいこと)の時間を感じさせます。かつ昔から繰り返し突かれています。そこに柿を食べている自分がいます。法隆寺も古くからあり、過去から未来へと永遠に続く時間の流れの中に、今を生きている自分がいる。そんな思いを重ね合わせたかったのかもしれません。それをたった17文字で言い表したこの句はすごい。

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